町の「再発見」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/18 17:22 UTC 版)
19世紀にこの地域は、多くの旅行者や考古学者らに「再発見」された。1934年にはアテネ・フランス人学校(en:École française d'Athènes)のM.フェイェルは金石学の授業でこの地を訪れ、ライオンの像の残骸を発見した。 しかし、本格的に発掘が始まったのは、第二次世界大戦が終わってからのことであった。アテネ考古学協会のD.ラザリディスによる、1972年と1985年の発掘で、共同墓地や、旧市街の遺跡、バシリカ、アクロポリスの跡などが発見された。 1970年代に、アンフィポリス古墳の北約5kmに位置する「ヒル133」の土塁に遺構が⾒つかっていたが、2014年から続いている発掘によって多くの重要な発⾒がなされ、これがギリシャ最大の墓であることが判明し、カスタの墓(またはアンフィポリスの墓)と呼ばれている。当初はその大きさからアレキサンダー大王の墓であろうと推察されていたが、発掘チームは、カスタ土塁で発掘された調査結果に基づいて、墓はアレクサンダー大王の盟友、ヘファイエスティオンに捧げられた記念碑であると主張している。
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