甲相駿三国同盟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 14:06 UTC 版)
詳細は「甲相駿三国同盟」を参照 詳細は「甲相同盟」を参照 武田晴信は信濃進出に際して、和睦が成立した後も軍事的な緊張が続いていた駿河の今川氏と相模の北条氏の関係改善を進めており、天文23年(1554年)には嫡男武田義信の正室に今川義元の娘嶺松院(信玄の姪)を迎え、甲駿同盟を強化する。また娘を北条氏康の嫡男北条氏政に嫁がせ甲相同盟を結ぶ。 これにより、今川氏と北条氏も信玄及び今川家の太原雪斎が仲介して婚姻を結び、甲相駿三国同盟が成立する。甲相駿三国同盟同盟のうち、北関東において景虎と抗争していた北条氏との甲相同盟は長尾景虎を共通の敵として相互に出兵し軍事同盟として特に有効に機能した。
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