甲浦村とは? わかりやすく解説

甲浦村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 21:40 UTC 版)

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こううらそん
甲浦村
岡山市南区役所児島地域センター
(旧・甲浦村役場)
廃止日 1952年4月1日
廃止理由 編入合併
牧石村大野村今村芳田村白石村甲浦村、三蟠村、沖田村、操陽村、富山村→岡山市
現在の自治体 岡山市
廃止時点のデータ
日本
地方 中国地方山陽地方
中国・四国地方
都道府県 岡山県
児島郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 3,753
(昭和25年国勢調査、1950年
隣接自治体 児島郡八浜町・小串村・鉾立村・胸上村

児島湾を挟んで隣接
岡山市
児島郡灘崎町
上道郡三蟠村・沖田村
甲浦村役場
所在地 岡山県児島郡甲浦村北浦
座標 北緯34度35分16秒 東経133度58分08秒 / 北緯34.58778度 東経133.96878度 / 34.58778; 133.96878座標: 北緯34度35分16秒 東経133度58分08秒 / 北緯34.58778度 東経133.96878度 / 34.58778; 133.96878
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甲浦村(こううらそん)は岡山県南部の児島半島北岸に存在した村である。1952年4月1日に岡山市へ編入された。

概要

現在の南区郡、北浦、宮浦、飽浦に当たる。村名の由来は、南方にある金甲山山麓の海岸地帯にあたることによる[1]

1945年6月29日岡山空襲に向かっていたB-29のうち1機が甲浦村大字宮浦の貝殻山に墜落し、搭乗していた米兵11人全員が戦死した。

人口

1920年(大正9年) 3,335人
1925年(大正14年) 3,118人
1930年(昭和5年) 3,081人
1935年(昭和10年) 3,007人
1940年(昭和15年) 2,765人
1947年(昭和22年) 4,091人
1950年(昭和25年) 3,753人
総務省統計局 / 国勢調査1950年

歴史

沿革

  • 1889年(明治22年)6月1日 - 町村制施行。郡村・北浦村・宮浦村・飽浦村が合併して児島郡甲浦村が発足。
  • 1890年(明治23年)- 尋常甲浦小学校設置(後の甲浦小学校)。
  • 1940年(昭和15年)- 文部省により大字宮浦字高島が吉備高島宮の地に認定される。
  • 1947年(昭和22年)- 甲浦小学校校舎を借用して甲浦中学校開校。
  • 1951年(昭和26年)2月 - 児島湾締切堤防が着工。
  • 1952年(昭和27年)4月1日 - 岡山市に編入。同日甲浦村廃止。

合併以降の沿革は児島 (岡山市)を参照。

地域

教育

脚注

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関連項目

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