田部男足とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 田部男足の意味・解説 

田部男足

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 17:27 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

田部 男足(たべ の おたり、生没年不詳)は、奈良時代後期の貴族宿禰官位従五位下典薬員外助

出自

田部氏の名称は屯倉の田地耕作に従事した田部伴造氏族であったことによると思われる。

田部宿禰氏は、田部連氏が改姓したものと考えられており、田部連については『先代旧事本紀』に「物部小前宿禰連公」が祖であると記されている。

経歴

称徳朝天平宝字8年(764年)10月、藤原仲麻呂の乱後の論功で、弓削耳高秦智麻呂内蔵若人美努奥麻呂秦伊波太気・大原家主・津真麻呂雀部兄子大部不破麻呂建部人上桑原足床らとともに正六位上から従五位下に叙せられている[1]神護景雲元年(767年)10月、従五位下に昇叙する[2]。同2年(768年)2月、主計頭助石川己人主計助を勤めている[3]

その後、しばらく記録が途絶えているが、光仁朝宝亀2年(771年)9月、主計助を林雑物と交替し、典薬員外助に任じられている[4]

官歴

続日本紀』による。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 『続日本紀』巻第二十五、廃帝 淳仁天皇 天平宝字8年10月7日条
  2. ^ 『続日本紀』巻第二十八、称徳天皇 神護景雲元年10月壬戌条。ただし、干支に合っておらず、壬寅(26日)のあやまりではないか、とされる。あるいは11月壬戌(16日)の錯簡とも取れる。
  3. ^ 『続日本紀』巻第二十九、称徳天皇 神護景雲2年2月18日条
  4. ^ 『続日本紀』巻第三十一、光仁天皇 宝亀2年9月16日条

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  田部男足のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「田部男足」の関連用語

田部男足のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



田部男足のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの田部男足 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS