猿楽諸座の出自
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/22 07:42 UTC 版)
「世子六十以後申楽談儀」の記事における「猿楽諸座の出自」の解説
第23条は猿楽諸座の発祥についてである。観阿弥の出生についても語られ、観世家は無論のこと、能楽に関わる諸家の起源を探る根本史料である。また道阿弥の「道」が義満の法名を拝領したものであること、世阿弥の名を「ぜ」と読むよう指示したのも義満であることなどもここで語られる。第24条は世阿弥を巡る霊験譚。第25条は田楽、第26条は松囃子の起源について。第27条・28条は大和四座が参勤の義務があった興福寺薪能について。第29条は役者の日頃の心がけについて、第30条は体系立てた稽古の必要性、そして第31条が神事奉仕に際しての注意である。 本編31条に加えれ、観阿弥時代に定められた結崎座の規則が掲載され、草稿と思われる聞き書きが別本などの形で伝えられている。 元能は最後に、父母への別れの和歌と偈を載せ、著作を締めくくっている。
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