狂言方能楽師として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 06:48 UTC 版)
「野村万蔵 (7世)」の記事における「狂言方能楽師として」の解説
六世野村万蔵の長男として東京府に生まれる。太平洋戦争後、弟である二世野村万作とともに狂言のみならず現代演劇や前衛演劇に出演するほか、『おしん』や『翔ぶが如く』などテレビドラマにも出演した。その一方で、小学校やホールでの公演も重ね、狂言の一般的普及に大きく貢献した。現在も多くの舞台で活躍し、後進の育成にも力を注いでいる。 1950年以来、長らく四世野村万之丞を名乗っていたが、1993年に七世野村万蔵を襲名した。2000年に初世野村萬に改名する。2012年に皇太子徳仁親王、秋篠宮文仁親王、黒田清子らの企画で美智子皇后の喜寿を祝う夕食会が催された際には、東宮御所にて皇族らの前で『蝸牛』を披露した。
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