犬養部の起こりと存在意義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/24 05:16 UTC 版)
犬養部の、犬の使用目的として、 1.狩猟に用いられた 2.守衛に用いられた の2つが古来より説かれていた。 『日本書紀』によれば、犬養部は安閑天皇二年(538)八月、同年五月の屯倉の大量設置をうけて国々に設置された。この記事の近接性と、現存する「ミヤケ」という地名と「イヌカイ」という地名の近接例の多さから、犬養部と屯倉との間になんらかの密接な関係があったことが想定され、現在では、犬養部は犬を用いて屯倉の守衛をしていたという説が有力になっている。 また、犬養部の正確な設置時期は不明であるが、安閑天皇の居地であると『日本書紀』が伝える勾金橋宮の故地に「犬貝」の地名が現存していることから、安閑期頃の6世紀前半である可能性が示唆されている。『日本書紀』の記述には、安閑天皇の前後から屯倉の設置記事が多く見られるようになる。屯倉の発展に犬養部の設置が大きく寄与していたことが考えられる。なお、屯倉の広域展開がのちの国・郡・里制の基礎となっていったとの指摘もある。
※この「犬養部の起こりと存在意義」の解説は、「犬養部」の解説の一部です。
「犬養部の起こりと存在意義」を含む「犬養部」の記事については、「犬養部」の概要を参照ください。
- 犬養部の起こりと存在意義のページへのリンク