犬養部のその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/24 05:16 UTC 版)
屯倉の守衛に始まった犬養氏・犬養部は、のちに犬を手放すとともに、「守衛」により培ってきた武芸を活かし、軍事氏族としての色を強めていったと思われる。有名な大化の改新の引き金となった蘇我入鹿暗殺のクーデター(乙巳の変)の参加者として、海犬養連勝麻呂や葛城稚犬養(若犬養)連網田の名が見られることから、そのことがわかる。
※この「犬養部のその後」の解説は、「犬養部」の解説の一部です。
「犬養部のその後」を含む「犬養部」の記事については、「犬養部」の概要を参照ください。
- 犬養部のその後のページへのリンク