犬養部の統率者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/24 05:16 UTC 版)
『日本書紀』、『新撰姓氏録』などの諸史料によれば、犬養部を統率した伴造(とものみやつこ)に、県犬養連(あがたのいぬかひのむらじ)、海犬養連(あまいぬかひのむらじ)、若犬養連(わかいぬかひのむらじ)、阿曇犬養連(あずみのいぬかひのむらじ)、辛犬養連(からいぬかいのむらじ)、阿多御手犬養(あたみてのいぬかい)の6氏が存在したことが伝わっている。なお、頭に何も冠さない、犬養連も『書紀』に見られなくはないが、某犬養連の「某」の記載漏れであろうと考えられている。このなかでも県犬養連、海犬養連、若犬養連の3氏が有力な上級伴造とされる。海犬養連、若犬養連、阿曇犬養連、辛犬養連が海神族系、阿多御手犬養は隼人系、県犬養連が山祇族系にそれぞれ分類されると見る説がある。 このうちの県犬養氏は、藤原不比等の妻であり、藤原光明子(光明皇后)・橘諸兄の母である贈従一位県犬養三千代や、安積親王(あさかしんのう、聖武天皇の息子)の母である正三位県犬養広刀自などが輩出され、天武天皇~奈良時代中期にかけて有力な氏族であったことが知られている(『続日本紀』より)。
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