特務部隊ライプシュタンダルテ連隊長
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「ヨーゼフ・ディートリヒ」の記事における「特務部隊ライプシュタンダルテ連隊長」の解説
1934年12月14日、ライプシュタンダルテと親衛隊政治予備隊 (SS-Politische Bereitschaft) からなる親衛隊特務部隊(SS-Verfügungstruppe、略称SS-VT)が編成された。ディートリヒは形式的には特務部隊のライプシュタンダルテ連隊の連隊長という立場にあった。 1936年3月のラインラント進駐に際してはライプシュタンダルテが親衛隊として唯一従軍し、ライプシュタンダルテは真っ先にザールブリュッケンに進出した部隊であった。 1936年10月1日には元国防軍中将パウル・ハウサーが特務部隊総監に就任したが、ディートリヒはハウサーより階級が上だったこともあり、引き続きヒトラーだけに責任を負う独立的な部隊として維持しようと図り、なかなかハウサーの指揮権に服そうとしなかった。ヒムラーが特務部隊総監府の指揮に服するようディートリヒに手紙を出して諌めたこともあったほどである。とはいえ他の特務部隊とライプシュタンダルテの練度の差が明らかになるとディートリヒもライプシュタンダルテが未熟であることを認めざるを得なくなり、ハウサーにライプシュタンダルテ隊員の訓練を認めることになる。 1938年3月11日のオーストリア併合(アンシュルス)の際の進駐にもライプシュタンダルテが親衛隊として唯一従軍した。ディートリヒ率いる1個自動車大隊がオーストリア進駐に活躍した。1938年10月のズデーテンラント併合の進駐にも参加。この進駐にはライプシュタンダルテ以外の特務部隊の連隊、「ゲルマニア」連隊や「ドイッチュラント」連隊も参加している。 ライプシュタンダルテは優先的に機械化(自動車化)を受け、1939年9月のポーランド侵攻の際には親衛隊特務部隊の中で唯一自動車化された部隊になっていた。
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