赤井官衙遺跡
赤井官衙遺跡(あかいかんがいせき)は、宮城県東松島市にある古代の郡衙跡、近隣の矢本横穴を併せ国の史跡に指定されている。
解説
奈良時代に築かれた多賀城の周辺には「天平五柵」といわれる5つの城柵が置かれたことが続日本紀に見える。
赤井官衙遺跡では、高床式の倉庫群(正倉)が見つかっており以前から牡鹿郡家跡として知られていた。その後東松島市教育委員会の発掘調査が行われ、城柵跡とみられる柱の基礎部分が発見されたことから郡家のほか天平五柵のひとつである牡鹿柵も兼ねていたことが判明した。また、5キロメートルほど離れた丘陵の斜面には一族が葬られた矢本横穴があり、造営したのは古代の陸奥国で随一の豪族となり陸奥経営に大功があった道嶋氏と考えられている[注釈 1][1][2]。
脚注
注釈
出典
- ^ “赤井官衙遺跡・発掘調査”. 河北新報 (2024年2月28日). 2025年3月22日閲覧。
- ^ “東松島の赤井官衙遺跡群、国史跡へ”. 朝日新聞 (2020年11月21日). 2025年3月22日閲覧。
外部リンク
- 赤井官衙遺跡群(赤井官衙遺跡・矢本横穴) - 国指定文化財等データベース(文化庁)
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