赤井塚古墳とは? わかりやすく解説

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赤井塚古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/18 20:36 UTC 版)

赤井塚古墳

墳丘(右に石室開口部)
所属 美旗古墳群
所在地 三重県名張市上小波田
位置 北緯34度38分39.50秒 東経136度8分33.43秒 / 北緯34.6443056度 東経136.1426194度 / 34.6443056; 136.1426194座標: 北緯34度38分39.50秒 東経136度8分33.43秒 / 北緯34.6443056度 東経136.1426194度 / 34.6443056; 136.1426194
形状 円墳
規模 直径22m(推定復元30m)
高さ8.5m
埋葬施設 両袖式横穴式石室
築造時期 6世紀後半
史跡 国の史跡「美旗古墳群」に包含
地図
赤井塚古墳
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赤井塚古墳(あかいづかこふん)は、三重県名張市上小波田(かみおばた)にある古墳。形状は円墳美旗古墳群(国の史跡)を構成する古墳の1つ。

概要

三重県西部の上野盆地南部、名張川支流の小波田川北岸の丘陵上に築造された大型円墳である。北の台地上に展開する美旗古墳群の前方後円墳5基からはやや南に離れて所在する。墳丘裾部は耕作による削平を受けているほか、発掘調査は実施されていない。

墳形は円形で、現存直径22メートル(推定復元約30メートル)・高さ8.5メートルを測る[1]。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南方向に開口する。石室全長12.6メートルを測る大型石室であり、伊賀地方では最大規模の石室である。副葬品は詳らかでない。

築造時期は、古墳時代後期の6世紀後半頃と推定される[2]。美旗古墳群では、4世紀末の殿塚古墳から6世紀初頭の貴人塚古墳まで1世代1墳の間隔で前方後円墳5基が築造され、伊賀南部の首長系譜として理解されるが、赤井塚古墳はその後に大型円墳として築造された古墳になる[2]。赤井塚古墳をもって大型古墳の築造は途絶えており、伊賀地方の政治的情勢を考察するうえで重要視される古墳になる。

古墳域は1978年昭和53年)に国の史跡に指定されている(史跡「美旗古墳群」のうち)。現在では石室内への立ち入りは制限されている。

埋葬施設

石室俯瞰図
石室展開図

埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されており、南方向に開口する。石室の規模は次の通り[2][1]

  • 石室全長:12.6メートル
  • 玄室:長さ5.7メートル、幅2.4メートル、現在高さ3.5メートル
  • 羨道:長さ6.8メートル、幅1.3メートル、現在高さ1.4メートル

石室の石材は片麻岩花崗岩で、2メートル程度を測る大石が使用される。奥壁・前壁は持ち送る。玄室の天井石は2枚[2][1]

脚注

参考文献

関連項目




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