焼き打たれて落城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 14:26 UTC 版)
しかし、長野氏と織田信長の和解成立後も細野氏は反信長を貫き、天正8年(1580年)2月2日に津城にいた織田信包軍の攻撃を受け、藤敦は守ることができず城に火をつけて逃亡したため本城は滅びたとされる。城主であった藤敦らは一身田(津市)にある専修寺に逃れた後に、近江日野城主や伊勢松阪主、陸奥黒川城主であった武将の蒲生氏郷(がもううじさと)や豊臣秀吉らに仕えたといわれている。
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