無計画な援助
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 13:52 UTC 版)
ユリシーズの破片は主に東のエストバキア連邦に落着し、大きな被害を出すこととなる。これと対照的に、エメリア共和国では自国内の被害は小さかったことから、2000年からエストバキアに対するユリシーズ復興援助政策を開始した。しかしその後エストバキア国内での軍閥間の争いが激化し、エメリア政府は援助政策を一時的に凍結した。 2007年4月、エストバキア国内でリエース派統一戦線(LUF)が旧政府に代わり旧首都を含むエストバキア西部を統率。そこでエメリア政府はこのLUFが進めていた復興支援政策を援助する形で、凍結していた援助政策の再開を決定。エストバキアへの物資等の支援を開始した。しかしLUFはエメリアからの支援をもとに次第に敵対する勢力の排除をはじめた。特にLUFの支配に対して反対の姿勢を示していた都市グレジーナにおいては、LUFによる弾圧によりおよそ20万人が死亡するという未曽有の大惨事を引き起こした。 2010年にエメリア政府はLUFへの支援を打ち切ったが、すでにその時にはこの弾圧がきっかけとなったLUFと各軍閥間での内戦が発生しており、6年もの間続くこととなった。それゆえエメリアのLUFに対する復興支援政策は「無計画な支援」とよばれ、エストバキアとの間に大きな溝を作ってしまった。
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