火幡神社とは? わかりやすく解説

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火幡神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/07 03:24 UTC 版)

火幡神社

拝殿
所在地 奈良県北葛城郡王寺町畠田640
位置 北緯34度34分48秒 東経135度41分55秒 / 北緯34.58000度 東経135.69861度 / 34.58000; 135.69861 (火幡神社)座標: 北緯34度34分48秒 東経135度41分55秒 / 北緯34.58000度 東経135.69861度 / 34.58000; 135.69861 (火幡神社)
主祭神 天児屋根命
息長帯比売命
誉田別命
玉依姫命
天照皇大神
社格 式内社名神大
村社
創建 (伝)大同元年(806年
本殿の様式 神明造銅板葺
例祭 7月14日
地図
火幡神社
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火幡神社(ほばたじんじゃ)は、奈良県北葛城郡王寺町にある神社式内社名神大社)で旧社格村社

祭神

現在の祭神は次の5柱。

延長5年(927年)成立の延喜式神名帳における祭神の記載は1座であり、祭神の比定としては以下の記述がある。

このことから、創建当初の祭神は火之戸幡姫命であろうと推測される。

歴史

概史

社伝によると、大同元年(806年)に創建されたという。新抄格勅符抄によると創建と同年に神封二十戸が寄進されていることから、創建自体は更に遡ると考えられる。天正5年(1577年)10月1日には松永久秀と共に織田信長に反旗を翻した畠山義宣・海老名友清・森正友が片岡城に籠り、明智光秀細川藤孝筒井順慶に敗死させられたが、片岡城内に葬られた義宣の霊を弔うために三松八幡社が創建され、後に火幡神社となったとする伝承が「泰国文書」に記録されている[1]延喜式神名帳では名神大社に列し、月次・新嘗の奉幣に預ると記されている。江戸時代は八幡宮と称していた。明治6年(1874年)村社に列格した。

神階

境内


交通アクセス

外部リンク

  1. ^ 市川秀之「御霊から村の神へ-三松八幡にみる近世初頭の宮座と神社」京都民族会編『京都民俗 : 京都民俗学会会誌 (7)』(京都民族会、1989年)



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