源則忠とは? わかりやすく解説

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源則忠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/06 13:27 UTC 版)

源 則忠(みなもと の のりただ、天暦3年(949年) - 没年不詳)は、平安時代中期の貴族。名は教忠とも記される、醍醐天皇の孫、上野太守盛明親王の子。官位従三位左京権大夫

経歴

一条朝前期に民部大輔近江介を務める。長保2年(1000年藤原彰子が中宮に立てられた際、則忠は中宮権亮に任ぜられた。

その後、越前守但馬守として再び地方官を務め、寛弘4年(1007年従三位に叙せられ公卿に列した。翌寛弘5年(1008年)4月21日に出家。最終官位は従三位行左京権大夫

官歴

系譜

尊卑分脈』による。

脚注

  1. ^ 『小右記』
  2. ^ a b 『権記』
  3. ^ 『権記』長保2年正月3日条で見任、同2月2日条で見前任
  4. ^ 『御堂関白記』
  5. ^ 『日本紀略』

参考文献




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