湖岸と石積
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 10:09 UTC 版)
奥琵琶湖とも呼ばれる琵琶湖北部は、周囲の山が風を遮ることで湖面は通常穏やかであるが、季節変化による特有の強風で荒波が立つこともあり、特に台風の進路が湖北におよぶと、南面が湖岸に開いた菅浦地区は強風と大波により多くの被害を受けたといわれる。特に菅浦地区周辺は湖岸が急に深く湖に落ち込んでいることにより、ひときわ高波が増幅される。1961年(昭和36年)9月の第2室戸台風による被害の後に護岸が整備され、1966年(昭和41年)には湖岸東部の護岸工事がなされた。 菅浦地区集落は、湖に面した「浜出」と呼ばれる家並みと山側に位置する「北出」の家々におおよそ区分されるが、湖沿いの「浜出」には、護岸および波よけに積まれた多くの石垣があり、敷地側と湖岸の石積に挟まれた「ハマミチ」と呼ばれた浜通りの面影が残る。 昭和50年代前半まで、「ハマ」(浜)は、稲を干すハサ場(稲場)として利用されるとともに、漁具の手入れや屋根を葺くヨシを切りそろえる場所であり、薪や柴を置く「ニュウバ」でもあった。湖面には舟を係留する桟橋のほか、橋板の「ウマ」が設置され、洗い場や水くみ場として共同利用されていた。
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