湖の形成と集落の水没
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 06:52 UTC 版)
「1888年の磐梯山噴火」の記事における「湖の形成と集落の水没」の解説
岩屑なだれは長瀬川とその支流の小野川、中津川、大倉川などを堰き止めた。この天然ダムの形成に伴って裏磐梯では湖が出来始めた。出来始め当初、大きな水たまりは4つであった。長瀬川の本流に当たる檜原川を堰き止めた桧原湖、雄子沢川を堰き止めた湖、小野川を堰き止めた小野川湖、そして中津川、大倉川が堰き止められて秋元湖が形成され始めた。その他、曽原湖、五色沼などの多くの湖沼も沢の閉塞や岩屑なだれの堆積地の凹地に形成され始める。 長瀬川の本流に当たる檜原川を堰き止めた桧原湖と雄子沢川を堰き止めた湖は、拡大を続けるうちにひとつの大きな湖となった。これが現在の桧原湖である。秋元湖は噴火と同年の1888年(明治21年)10月、小野川湖は翌1889年(明治22年)2月、そして最大の桧原湖も雪解け水を集めて1889年(明治22年)4月には満水状態となった。桧原湖、小野川湖、秋元湖が満水となると、天然ダムの一部決壊などに伴って長瀬川下流域は水害に悩まされるようになった。早くも1888年(明治21年)秋には秋元湖の決壊に伴う水害が発生し、1889年(明治22年)4月、今度は桧原湖が満水となった後にどっと流れ出た水によって小野川湖が決壊し、長瀬川下流域に泥流が襲い、大きな被害が出た。 そして湖がどんどん大きくなっていく中で、新たな難題が持ち上がってきた。前述のように檜原村の中で岩屑なだれの直撃を免れた小野川、檜原本村の両集落が水没の危機に立たされたのである。
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