清和源氏頼信流 板垣支流 乾氏
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「乾氏」の記事における「清和源氏頼信流 板垣支流 乾氏」の解説
乾加兵衛正信の系は、清和源氏甲斐武田支流の板垣駿河守信方の孫、加兵衛正信を祖と称した。正信の父、板垣弥次郎信憲が改易ののち殺されたため、旧臣北原羽左衛門、都築久太夫らに供奉せられ、籠居して乾氏と改め、天正18年(1590年)10月18日遠江国掛川ではじめて山内一豊に召抱えられた。信憲は不行跡の後に殺害されたため、正信は一般には「信憲の子」というより「板垣信方の孫」として説明されることが多い。この嫡流の10代目の乾退助正形が、戊辰戦争の際に、岩倉具定の言を入れて姓を板垣に復したのが板垣退助である。家紋は「榧之内十文字(かやのうちじゅうもんじ)」。
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