淵沢小十郎の「モデル」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 16:31 UTC 版)
「なめとこ山の熊」の記事における「淵沢小十郎の「モデル」」の解説
賢治が盛岡高等農林学校研究生時代の土性調査などで、「なめとこ山」を含む現在の花巻市西方の山地を跋渉した時期に接したマタギが小十郎のモデルではないかと考えられてきた。1990年に牛崎敏也が、当時この地区で唯一マタギの家であった松橋和三郎(1852 - 1930)とその息子勝治(1893 - 1968)であるという説を発表し、その後も補強する研究が行われている。ただし、ここで「モデル」というのは賢治が猟師の姿を執筆するに当たって参考にした、という意味合いであり、ストーリーで描かれたようなキャラクターや境遇の直接のモデルではない点には留意が必要である。
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