淳和朝とは? わかりやすく解説

淳和朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 14:49 UTC 版)

藤原冬嗣」の記事における「淳和朝」の解説

天長2年825年)に淳和天皇外叔父として藤原緒嗣大納言から右大臣昇進すると、冬嗣は左大臣就任する。これは、延暦2年783年)に式家藤原田麻呂没して以来42年ぶりの任官であった。 が、翌天長3年826年7月24日薨去享年52最終官位左大臣正二位兼行左近衛大将没後まもなく正一位贈られる。さらに娘で仁明天皇女御であった順子所生道康親王嘉祥3年850年)に即位文徳天皇)した際に、太政大臣追贈された。 平安左京三条二坊にあった私邸閑院邸と称された事から、閑院大臣と言われる

※この「淳和朝」の解説は、「藤原冬嗣」の解説の一部です。
「淳和朝」を含む「藤原冬嗣」の記事については、「藤原冬嗣」の概要を参照ください。

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