海軍総長に昇進
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/03/03 00:48 UTC 版)
1921年(民国10年)5月、靳雲鵬内閣において、李鼎新は海軍総長に任命された。李は、北京政府内の派閥争いで直隷派の一員となっている。 翌年、福建省で安徽派の徐樹錚の謀略により、直隷派の福建督軍李厚基が兵変で拘束されてしまう事件が起きる。そのため李鼎新は、上海の艦隊を駆使するなどして、福建省を直隷派地盤として防衛しようとする。しかし結局、李厚基は南方政府の許崇智に敗れ、福建を追われた。1924年(民国13年)10月、第2次奉直戦争で直隷派が敗北すると、李は海軍総長の地位を追われる。以後、政界・軍界から完全に引退した。 1930年(民国19年)、上海で病没。享年70。
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