浪士組取締役
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 19:47 UTC 版)
御三卿の田安徳川家の奥詰を務めていた鎮勝は、幕府が「尽忠報国の士」の募集を発表し、浪士取締役に松平主税之介がなった時、中条金之助と共に取締役に任命される。 この浪士組が清河八郎らによるものであり、京都に上り、そこから近藤勇や土方歳三らの新撰組が生まれているのはよく知られている。京都に上った浪士組に対して鎮勝と中条金之助は江戸に残り、期日遅れの応募者への対応を勤めた。 浪士組、新撰組との関係でいえば、鎮勝は佐々木只三郎と交流があり、新撰組で後に伊東甲子太郎の御陵衛士になる篠原泰之進は、一時期鎮勝の屋敷の居候となっていた。また「坂本龍馬を斬った男」とされる今井信郎は鎮勝の柔術の弟子で、今井はその後京都へ行き、佐々木只三郎の京都見廻組に入る。
※この「浪士組取締役」の解説は、「窪田鎮勝」の解説の一部です。
「浪士組取締役」を含む「窪田鎮勝」の記事については、「窪田鎮勝」の概要を参照ください。
- 浪士組取締役のページへのリンク