浜松教導飛行師団第1教導飛行隊
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「富山飛行場」の記事における「浜松教導飛行師団第1教導飛行隊」の解説
浜松教導飛行師団はもと静岡県浜名郡神久呂村にあった浜松陸軍飛行学校が、1944年(昭和19年)6月13日に改組されたもので、1945年(昭和20年)5月頃より激しさを増しつつあった日本本土空襲を避けるために各地へ疎開したのであるが、その内の一つである第1教導飛行隊は富山飛行場に駐留することとなったという。同師団の攻撃飛行隊は重爆撃機を専門としており、九七式重爆撃機を49機、一〇〇式重爆撃機を55機保有していたとされ、富山飛行場にも少なくとも9機の一〇〇式重爆撃機が配備された。米軍の報告書においては、「No count possible」としながらも2機の四式重爆撃機(米軍側呼称:Peggy)、1機の一〇〇式重爆撃機(米軍側呼称:Helen)、1機の九九式双発軽爆撃機(米軍側呼称:Lily)の存在が報告されている。
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