津山での拉致未遂と事態の決着
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 03:37 UTC 版)
「姫路事件」の記事における「津山での拉致未遂と事態の決着」の解説
7月、津山市で、竹中組杉本組組員・内山誠治と杉本組組員・福田徹が、木下会島津組津山支部幹部・坂本貢を車で拉致しようとした。この時坂本が車から逃げたため、福田徹が拳銃で坂本貢の左大腿部を撃ち坂本に重傷を負わせた。三代目木下会を継承した大崎圭二は、岡山竹中組の竹中武組長に直々竹中組津山支部の木下会への襲撃理由を問い質し、竹中武は津山支部に赴いて組員・小島大助に襲撃理由を訊ねた。小島大助は「坂本貢が木下会から破門され、木下会と関係ない人物になったために襲撃した」と返答し、竹中武もその旨大崎に伝えた。その上で、竹中組からも竹中組津山支部からも見舞いは出ないが、竹中武個人名義ならば坂本貢を見舞う準備があることを大崎に表明している。 これに対し、大崎は坂本への見舞いを要求。竹中武は、若衆を津山市の坂本貢の入院する病院に派遣したが、警察官が病院を警備していたために病室には入れず見舞金を持ち帰った。仕方なしに竹中武は、竹中武の若衆2人を連れて、岡山市中山下町の木下会事務所に赴いた。そこで竹中武と大崎は人払いして話し合い、「絶縁まではしなくてもいいだろう」という湊の発言をお互いが異なった解釈をしていたことに気がついた。 同年末までに、竹中組組員49人が逮捕された。 その一方で、湊の舎弟・北田悦也が竹中組と木下会の仲裁に動き、年が改まった1981年1月に竹中兄弟は北田の工作を知ることになる北田の工作を受けて、竹中正久は木下会に香典を送ることを了承。これを受けて北田は、竹中正久の意向を大崎に伝え、大崎からの了解を取り付けた。 同年3月6日、竹中正久と大崎は、山口組湊組事務所2階で、再度手打ち式を行った。仲裁人は山田忠一の代理・吉田勇と大崎英良と湊。見届け人は山口組若頭補佐・山本広(後の一和会会長)だった。竹中正久は、高山雅裕と森崎右の香典として、1000万円を大崎に贈った。
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