波沙寐錦との関連
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 01:42 UTC 版)
『日本書紀』巻九・神功皇后摂政前紀にある新羅王波沙寐錦(はさむきむ)との関連も指摘されている。岩波文庫版『日本書紀』によれば、「波沙」は婆娑尼師今のことで、「尼師今」は王号で、すなわち「波沙」と「婆娑」は同一かとしている。 また、414年に建てられた広開土王碑の第三面二行に「新羅寐錦」とあり、中原高句麗碑では、高句麗を「大王」として新羅王を「東夷之寐錦」とされていることから、「寐錦」は、新羅の固有の君主号ともいわれる。 ほかにも蔚珍鳳坪碑は、法興王11年(524年)の建立とされるが、この碑に法興王は「寐錦王」として現れている。また、同時に連なっている高官に「葛文王」の表記が見られることから、6世紀初頭当時の新羅が絶対的な「王」による一元的な王権の支配下にあったわけではなく、寐錦王と葛文王という二つの権力の並存であったとも考えられている。なお、法興王の前代の智証麻立干の時代に国号を新羅として君主号を王に定めている。
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