法制局 (太政官制)とは? わかりやすく解説

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法制局 (太政官制)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/01 03:43 UTC 版)

法制局(ほうせいきょく)は、明治時代日本において正院に置かれた機関。法制の起草修正を所管した。

概要

1873年(明治6年)の太政官制の改革(太政官制潤飾)において、正院の下に内史所管の法制課が置かれ[1]、所管事務は「諸律法式礼規則章程条例等ニ関スル事ヲ勘査」することとされた[2]

1875年(明治8年)7月3日に法制課が廃止され、法制課の事務が内史本課へ合併されるとともに、内史の機能のうち法案の起草、勘査の機能のみを独立させて専門化した機関[3]として法制局が置かれた[4]。同年9月に制定された法制局章程では、法制局は「正院ノ下命ヲ受ケ法制ヲ起草修正スル」ものとされ、正院において新たに起草又は改正する法制を審議起案する(1条)ほか、元老院や省使から正院に献議された法制案の審査も取り扱った(2条)。法制局設置時の職員は、長官1名、法制官10名及び書記10名であり、1876年(明治9年)に追加で主事が置かれた[5]

初代長官は参議伊藤博文が任じられ[6]、翌年6月に新たに置かれた主事には井上毅が任じられた[7]

1880年(明治13年)3月3日の太政官第17号達により調査局[8]とともに廃止され、法制・会計・軍事・内務・司法・外務の六部が置かれた(太政官六部制)。法制局の所管事務は法制部に移管され、さらに翌年には参事院に引き継がれた[9]

歴代長官

長官には、以下の3名が就任した[10]

注釈

  1. ^ 明治6年5月2日太政官達「太政官職制並正院事務章程」
  2. ^ 内史官事務章程
  3. ^ 水野(2007)38頁
  4. ^ 太政官番外達「正院中法制課ヲ廃シ法制局ヲ置ク」
  5. ^ 明治9年6月10日太政官第62号達「正院法制局ヘ主事ヲ置ク」
  6. ^ 笠原(1998)184頁
  7. ^ 笠原(1998)184頁、『太政官日誌 明治9年1-6月』6月19日
  8. ^ 明治10年1月18日太政官第10号達で太政官中に設置された局
  9. ^ 笠原(1998)187頁
  10. ^ 七戸(2011)77頁

参考文献

  • 笠原英彦(1998)「内閣法制局前史小考 : 法制官僚と行政立法」法學研究:法律・政治・社会71巻1号
  • 七戸克彦(2011)「現行民法典を創った人びと(24)査定委員32・33 : 木下周一・斯波淳六郎、外伝20 : 内閣法制局」法学セミナー56巻4号
  • 水野京子(2007)「明治初年における行政・立法分離問題」書陵部紀要第58号

関連項目




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