法光寺 (越谷市)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 法光寺 (越谷市)の意味・解説 

法光寺 (越谷市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/12 10:23 UTC 版)

法光寺
所在地 埼玉県越谷市三野宮1336
位置 北緯35度56分13.7秒 東経139度45分35.4秒 / 北緯35.937139度 東経139.759833度 / 35.937139; 139.759833座標: 北緯35度56分13.7秒 東経139度45分35.4秒 / 北緯35.937139度 東経139.759833度 / 35.937139; 139.759833
山号 今日山
宗派 浄土真宗本願寺派
創建年 元和3年(1617年
開基 釋宗金
公式サイト 法光寺‐埼玉県越谷市‐写楽ゆかりのお寺
法人番号 1030005010172
法光寺
法光寺 (埼玉県)
テンプレートを表示

法光寺(ほうこうじ)は、埼玉県越谷市にある浄土真宗本願寺派寺院。隣の光善寺も浄土真宗本願寺派の寺院である。

歴史

1617年元和3年)、釋宗金の開基である。西本願寺の浅草御堂(後の築地本願寺)の一院としてたてられた。1657年明暦3年)の明暦の大火1923年大正12年)の関東大震災に遭ったが、その都度再建されている[1][2]

1988年昭和63年)にも火災に遭った。そして遂に築地本願寺から離れて、1993年平成5年)に越谷市の現在地に移転した[1][2]

写楽ゆかりの寺

当寺は東洲斎写楽ゆかりの寺としても知られている。写楽は正体不明の謎の浮世絵師として知られている。江戸時代後期の考証家斎藤月岑が著した『増補浮世絵類考』には、写楽の本名は「斎藤十郎兵衛」で、徳島藩蜂須賀家のお抱え能役者であるとしている。しかし、この「斎藤十郎兵衛」自身が正体不明であったことから、当時の著名絵師の変名説が囁かれていた。1997年平成9年)に当寺の過去帳に「斎藤十郎兵衛」の記述があることが発見された。それによれば、斎藤十郎兵衛は確かに徳島藩の関係者であり、1820年文政3年)に58歳で没し、千住火葬されたこと、法名は「釈大乗院覚雲居士」で、十郎兵衛を含む斎藤家の菩提寺であった。この発見により、斎藤十郎兵衛の実在が証明された。これを記念して、当寺の境内に「写楽記念碑」が建てられている[1][3]

交通アクセス

  • 路線バス千間台西四丁目停留所より徒歩9分。

脚注

  1. ^ a b c インデックス編集部 編『訪ねてみたい埼玉のお寺』インデックス、2006年、96-97p
  2. ^ a b 法光寺を知る法光寺
  3. ^ 写楽と法光寺法光寺

参考文献

  • インデックス編集部 編『訪ねてみたい埼玉のお寺』インデックス、2006年

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  法光寺 (越谷市)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「法光寺 (越谷市)」の関連用語

法光寺 (越谷市)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



法光寺 (越谷市)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの法光寺 (越谷市) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS