沖縄の源為朝伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 00:51 UTC 版)
琉球王国の正史『中山世鑑』や『おもろさうし』、『鎮西琉球記』、『椿説弓張月』などでは、源為朝が琉球へ逃れ、大里按司の娘と子をなし、その子が初代琉球王舜天になったとしている。来琉の真偽は不明だが、この伝説がのちに曲亭馬琴の『椿説弓張月』を産んだ。この伝承に基づき、大正11年(1922年)には沖縄県今帰仁村の運天港に為朝上陸の碑が建てられた。表側に「源為朝公上陸之趾」と刻まれており、その左斜め下にはこの碑を建てることに尽力した東郷平八郎の名が刻まれている。
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