永衡誅殺と経清出奔とは? わかりやすく解説

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永衡誅殺と経清出奔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 00:42 UTC 版)

源頼義」の記事における「永衡誅殺と経清出奔」の解説

戦役再開後に微妙な立場置かれる事となったのが、頼義の幕下ありながら時の娘婿でもあった藤原経清平永衡であった。特に永衡は前任陸奥守藤原登任安倍氏懲罰行った際に安倍側に走った過去があったため周辺から疑いの目で見られていた。官軍衣川まで辿り着いた時、ある者が頼義に「永衡は前国守(登任)様から厚く眼を掛けて頂いていたにも関わらず安倍軍に走った不義不忠の輩です。今は将軍(頼義)に従う素振り見せてはいますが、腹の中では何を諮り巡らせているか知れたものではありません。しかもあの者の鎧は我が官軍の者とは違った色をしております。漢の黄巾賊赤眉賊の例を見ても、装備の色や形で敵味方判断していたといいます。これを見ても永衡が二心抱いているのは明らかで、災いが起こる前に早くあの者を取り除くべきです」と進言し、頼義も「もっともな事である」として、この進言入れて永衡を誅殺した。これによって疑心暗鬼となったのが相婿藤原経清であった。経清は親しき知人に「義理の兄であった十郎(永衡)が将軍誅殺されてしまった。昔、漢の韓信彭越高帝から誅殺された時、二人同僚黥布背筋凍ったというが、今の私はまさにその心境だ。どうしたらいいだろうか」と尋ねると、知人は「恐らく将軍貴殿信用しないでしょう。そして必ず御身災いが起こるに違いありません。貴方は災禍降りかかる前に舅殿(頼時)の元へ走るのが賢明でしょう」と答えたため、経清は「その通りだ」として私兵率いて安倍軍へ走ってしまった。平永衡真に二心抱いていたかは不明であるが、これにより頼義は立て続け有力な幕僚失った

※この「永衡誅殺と経清出奔」の解説は、「源頼義」の解説の一部です。
「永衡誅殺と経清出奔」を含む「源頼義」の記事については、「源頼義」の概要を参照ください。

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