水戸佐倉道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/19 14:58 UTC 版)
「成田街道」も参照 江戸幕府により「佐倉道」「佐倉街道」と命名された街道であり、水戸街道新宿から佐倉城に至る。しかし、この街道を経由して成田山新勝寺へ至る成田参詣が隆盛するに従い、文化年間頃より「成田道」「成田街道」という愛称で呼ばれるようになった。 現在は千葉県道路愛称名により「成田街道」と呼ばれているが、江戸幕府により制定された佐倉街道のことである。 東京都内については、水戸街道の新宿追分より南方に分岐して新金線・京成金町線・北総鉄道・柴又街道と順次交差し、リブレ京成新柴又店北側道路を経て江戸川土手に至る。途中、桜道中学校や親水さくらかいどうなど街道に由来した名前の施設が点在する。千葉県では市川宿・船橋宿・大和田宿(八千代市)・臼井宿(佐倉市)を経て目的地の佐倉に至る。その延長線上に、芝山を経て九十九里浜、あるいは多古を経て佐原に至る多古街道があり、酒々井で左折すると酒々井宿(酒々井町)を経て成田に至る成田道が続いていた。
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