水口城主時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 17:38 UTC 版)
文禄4年(1595年)に近江水口城5万石を拝領し、五奉行の末席に名を連ねる。慶長2年(1597年)には、12万石に加増され、官位も従四位下侍従に昇任した。領内ではのちに家松山大徳寺となる浄慶寺に保護を加え、この縁故によって後年遺児が同寺に迎えられ三世門跡・還誉岌閑となる。蒲生秀行が減封された際には、松田秀宣らの蒲生浪人を召抱えた。
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