水争いの伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/29 06:55 UTC 版)
社伝に 『在る年の夏、天下大いに旱魃す万民、水に苦しむ時に、本國越部荘市野保村の里民、此の山上に上り、神池の堤を切り開きて水を唐猫谷に落し、市野保村に引入れ、其の水を呑みし人民牛馬忽ち病て臥す里民怪みて、陰陽家に卜せしむ卜者云ひけらく、神水を盗みて呑みし神罰なりと村民大いに恐怖し、堤を本の如く堰留め、神前に大祓を執行し、その罪を免れんとせんとす平井郷桑原荘に住みし人民は、神威によりて池水を堰留賜へりと、神徳の著明せることを畏尊し奉り、是より井関大明神と称し奉るなり』 とある。 播磨国風土記ではこれを、伊和大神(大己貴神)の子・石龍比古命とその妹で妻の石龍比売命の二柱の揖保郡出水里の美奈志川(中垣内川)での水争いとして伝えている。 亀山山頂の亀池弥生時代の高地性集落があった 水争い遺称地の看板 左が中垣内川へ注ぐ水路右側が唐猫谷
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