殿田孝次とは? わかりやすく解説

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殿田孝次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/07 02:07 UTC 版)

殿田 孝次(とのだ こうじ、1904年2月27日[1] - 1949年8月10日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。

人物

石川県金沢市出身。1927年早稲田大学法律科卒業[2]。アメリカのセントローレンス大学に留学し、政治学を学んだ。その後、帝国通信社政治部記者となり、渡米[2]。帰国後は読売新聞政治部記者として、国際外交評論家となる[2]。その後、中国に渡り、日本大使館上海事務所、中国銀行交通銀行、物資統制審議委員会上海事務所、全国経済委員会顧問室各嘱託となる[2]。帰国後は広瀬豊作大蔵大臣秘書官(大蔵省嘱託)[2]国民政府行政院顧問、外務省嘱託などを歴任した[3]

1942年翼賛選挙に郷里の石川1区から無所属(非推薦)で出馬し、落選[4]。戦後の1946年の総選挙で立候補し、当選[5]。翌年の総選挙は不出馬。同年、公職追放となる[6]。間もなく追放解除となり、1949年の総選挙民主自由党から立候補したが、落選した[7]。同年8月10日、金沢市里見町の自宅物置で首つり自殺を図り、死去した[8][9]

このほか戦災復興院嘱託[2]、民主自由党金沢支部長などを務めた。

選挙歴

著書

  • 『新支那読本』(高山書院、1940年)

脚注

  1. ^ 衆議院『第九十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1946年、23頁。
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』429頁。
  3. ^ 『代議士録』人事興信所、1946年、p.117。
  4. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』127頁。
  5. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』145頁。
  6. ^ 『朝日年鑑』1948年版、177頁。
  7. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』183頁。
  8. ^ 戦後、自殺した政治家
  9. ^ 自殺データベース

参考文献

  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。

関連項目




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