死去、その後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 08:18 UTC 版)
2015年に、旧宅で1945年1月から3月にかけて書かれた日記が見つかった。また、生年月日について1924年11月3日であるとされていたが、山崎豊子文化財団から戸籍上は同年1月2日であると発表された。 2015年9月25日より10月5日まで、追悼展「追悼 山崎豊子展 〜不屈の取材、情熱の作家人生〜」が東京・日本橋髙島屋で開催された。横浜・京都・大阪の髙島屋各店で2016年2月まで開催された。展示内容は同年に発見された日記、自宅などに保管されていた、数千点に上る取材資料や原稿などである。 2016年7月に、墓所は藤次寺(大阪市天王寺区生玉町)である事が公表された。また、没後3年となるこの年から山崎豊子文化財団が命日(9月29日)を「豊子忌」(とよこき)と名付け、ファンへの恩返しのために墓所が同年10月2日まで一般公開された。
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