武蔵的な力道山、小次郎的な木村政彦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 17:08 UTC 版)
「昭和の巌流島」の記事における「武蔵的な力道山、小次郎的な木村政彦」の解説
力道山は試合が始まる前から八百長破りを仕掛けるつもりでいたのに対して木村政彦はプロレス試合として臨んでいた(木村政彦は試合前夜まで大酒を飲んでいた)。 そういう意味で宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島の戦いになぞらえると、あくまで結果だけから判断すると、力道山の方が兵法に長けた宮本武蔵的、木村政彦の方は佐々木小次郎的であった。この試合が「昭和の巌流島」と呼ばれる以上、力道山は「昭和の武蔵」であり木村政彦は「昭和の小次郎」と言ってもいいだろう。 力道山はこの試合を機に一気に国民的スターに登り詰めていき、一方の木村政彦は自身が設立した国際プロレス団がうまく立ちゆかなくなりジリ貧となって海外へ行くが、結局完全にプロレス界から忘れ去られていく。勝者敗者の明暗がくっきりと分かれて共にまさに人生の分岐点となった。
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