機械化採炭の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/18 05:01 UTC 版)
前史として、機械化採炭は摩擦鉄柱とカッペという金属梁を使った切羽支保、H型のパンツァーコンベア(略称PC)が普及した戦後から発展した。戦前は、木柱木梁による切羽支保を切羽面に接するように施さなければならず、コンベアの移設に難渋し、コールカッターは下盤の上に直置きされており截炭作業も容易ではなかった。鉄柱カッペ採炭では、片持ち梁で切羽の天盤を支えられるため、コンベアの移設も容易であり、コールカッターをH型のコンベアの上に載せて走行させることにより截炭作業が容易になる恩恵もあった。 木柱木梁時代は、カッターで下盤の炭を透かして発破で崩し、石炭をすくい終えた後にその都度コンベアを解体し移設していた。鉄柱カッペ導入により解体せずに移設が可能となり、画期的であった。 鉄柱カッペ採炭は、コールカッターと発破を組み合わせた採炭方法によく適合する一方で、裸天盤が徐々に生じるホーベル採炭やドラムカッター採炭には不適であった。裸天盤を少しでも減らすために千鳥型の鉄柱配列をおこなったが、千鳥型の鉄柱配列は切羽内の通行や作業に支障をきたすので、最適ではなかった。
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