横谷重氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/17 12:31 UTC 版)
横谷 重氏(よこや しげうじ、生年不詳 - 1615年)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての忍者。真田氏の家臣。通称は庄八郎。兄に横谷幸重、横谷幸秀がいる[1]。
経歴
横谷惣右衛門の三男として生まれた。
1600年(慶長5年)のいわゆる犬伏の別れでは、重氏は兄と共に真田昌幸に仕えた[2]。その後、重氏は昌幸の次男である真田信繁(幸村)に仕え、信繁が高野山に配流となった際には同行した[3]。大坂夏の陣で信繁と共に討ち死にした[1]。
脚注
- ^ a b “時を超えて真田忍軍の末裔たちが集まった信州上田NINJAフェスティバルレポート”. Ninjack (Ninjack). (2021年1月28日) 2025年1月15日閲覧。
- ^ “三原三騎・吾妻四騎の横谷左近の本拠地”. 吾妻の歴史を語る (東吾妻城壘史研究会). (2022年9月1日) 2025年1月15日閲覧。
- ^ “真田家臣「横谷家」随想録 newspaper= ライフアシストな日々”. 株式会社 上燃ライフアシスト. (2010年1月15日) 2025年1月15日閲覧。
横谷重氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 21:07 UTC 版)
横谷幸重の弟。果物好きな甘党でゆずが大好物。出浦昌相の腕前に尊敬と憧れを抱いている。犬伏の別れでは幸村達の西軍に付く。大坂夏の陣における茶臼山突破戦で幸村と勝永を苦しめる幕府軍の大筒陣地に単独で潜入し開門させる活躍を見せるが、藤堂高虎ら幕府軍に取り囲まれ討ち死にする。
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