楠美省吾
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楠美 省吾(くすみ せいご、1905年〈明治38年〉9月13日[1] – 1980年〈昭和55年〉1月13日[2])は、日本の政治家、衆議院議員(3期)。
来歴
青森県[2]北津軽郡七和村大字高野(現五所川原市)出身[3]。1925年、旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一高等学校)卒。同年旧制弘前高等学校入学。1931年東北帝国大学法律科卒[2]。翌年満洲国大同学院卒[2]。卒業後は満洲国に勤務する[2]。1942年の翼賛選挙では郷里の青森県から非推薦で立候補して当選した。戦後、公職追放となり、追放解除後の1952年の第25回衆議院議員総選挙で青森2区から改進党公認で立候補したが落選、翌年の第26回衆議院議員総選挙で当選した。石橋、第1次岸内閣で行政管理政務次官に就任した[2]。1958年の第28回衆議院議員総選挙で落選、その後も続けて立候補したが当選することはなかった。
この他日産サニー弘前販売(株)社長を務めた[2]。
1975年11月の秋の叙勲で勲三等に叙され、旭日中綬章を受章する[4]。
1980年1月13日、死去した。74歳没。同月18日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付を以て従四位に叙された[5]。
脚注
参考文献
- 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 東奥日報社編『青森県人名事典』東奥日報社、2002年。
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