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楠美省吾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/15 17:19 UTC 版)

楠美省吾

楠美 省吾(くすみ せいご、1905年明治38年〉9月13日[1]1980年昭和55年〉1月13日[2])は、日本の政治家、衆議院議員(3期)。

来歴

青森県[2]北津軽郡七和村大字高野(現五所川原市)出身[3]。1925年、旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一高等学校)卒。同年旧制弘前高等学校入学。1931年東北帝国大学法律科卒[2]。翌年満洲国大同学院[2]。卒業後は満洲国に勤務する[2]1942年翼賛選挙では郷里の青森県から非推薦で立候補して当選した。戦後、公職追放となり、追放解除後の1952年第25回衆議院議員総選挙青森2区から改進党公認で立候補したが落選、翌年の第26回衆議院議員総選挙で当選した。石橋、第1次岸内閣で行政管理政務次官に就任した[2]1958年第28回衆議院議員総選挙で落選、その後も続けて立候補したが当選することはなかった。

この他日産サニー弘前販売(株)社長を務めた[2]

1975年11月の秋の叙勲で勲三等に叙され、旭日中綬章を受章する[4]

1980年1月13日、死去した。74歳没。同月18日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付を以て従四位に叙された[5]

脚注

  1. ^ 衆議院『第八十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1942年、20頁。
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』227頁。
  3. ^ 『青森県人名事典』211頁。
  4. ^ 『官報』第14654号6頁 昭和50年11月7日
  5. ^ 『官報』第15900号11頁 昭和55年1月23日

参考文献

  • 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 東奥日報社編『青森県人名事典』東奥日報社、2002年。



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