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森岡比佐士

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/20 00:49 UTC 版)

 森岡 比佐士 
Hisashi MORIOKA
基本情報
名前 森岡 比佐士
生年月日 (1938-02-04) 1938年2月4日(86歳)
国籍 日本
経歴
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森岡 比佐士(もりおか ひさし、1938年2月4日 - )は、日本プロゴルファー

来歴

1956年関西プロで2位[1]1960年の報知プロ新人で内田繁と共に今田慶之助の2位タイ[2]に入った。

関西オープンでは1958年橘田規の2位[3]1959年石井迪夫の2位[4]1964年杉原輝雄の2位[5]1976年には川上実と並んでの6位タイ[6]に入った。

1961年には第2回中日クラウンズで9位[7]に入り、1962年には中村寅吉小針春芳林由郎藤井義将勝俣敏男杉本英世松田司郎と共に第1回アジアサーキットに参戦し[8]、帰国後の日本プロでは戸田藤一郎工藤幸裕と並んでの10位タイ[9]に入った。

1964年の日本オープンでは初日を首位タイの松田・柳田勝司から3打差の3位に杉本・佐藤精一と並んで着け、最終的には林・勝俣功木本与河野高明と並んでの9位タイ[10]に入った。

1975年ペプシウイルソントーナメントでは初日の14番でホールインワンを達成[11]

1982年兵庫県オープンでは初日を金山和雄と共に65をマークし、井上久雄橘田光弘を抑えての首位タイ[12]でスタートするが、最終日には井上・島田幸作西村公一を抑えるも金山の2位[13]に終わった。

脚注

  1. ^ 男子トーナメント年度別一覧表(1926年~1972年) | 日本プロゴルフ殿堂
  2. ^ 男子トーナメント年度別一覧表(1926年~1972年) | 日本プロゴルフ殿堂
  3. ^ 男子トーナメント年度別一覧表(1926年~1972年) | 日本プロゴルフ殿堂
  4. ^ 男子トーナメント年度別一覧表(1926年~1972年) | 日本プロゴルフ殿堂
  5. ^ 男子トーナメント年度別一覧表(1926年~1972年) | 日本プロゴルフ殿堂
  6. ^ 朝日新聞縮刷版p606 昭和51年7月19日朝刊18面
  7. ^ ムーディーを退けた理論家石井朝夫の執念
  8. ^ アジアンツアーの歴史と成り立ち - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site of JAPAN GOLF TOUR
  9. ^ 第30回日本プロゴルフ選手権(1962年)
  10. ^ 第31回日本オープンゴルフ選手権(1964年)
  11. ^ 朝日新聞縮刷版p686 昭和50年5月23日朝刊16面「日吉トップ ペプシ・ウイルソン・ゴルフ第一日
  12. ^ 朝日新聞縮刷版p643 昭和57年7月17日朝刊17面
  13. ^ 朝日新聞縮刷版p680 昭和57年7月18日朝刊16面

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