梵音山弘法院東光坊久妙寺本尊は千手観音、当初は法相宗であったが弘法大師が逗留し真言宗になった。桜の名所である。地図詳しくは久妙寺を参照教王山宝池院安楽寺
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行基が霊泉を発見し草庵を結び本尊の阿弥陀如来(御丈2尺7寸)と観音・勢至両脇仏を納めて宝池院西光坊と称したたのが始まりと云われる。そして、弘法大師が弁財天を刻んで今でも奥殿に安置されていると云われる。その後、1862年(文久2年)信者で松山の桂月子が拝殿に日本三大弁財天より頭上にとぐろを巻く白蛇をのせた一面八臂の弁財天を勧請した。現在の弁財天堂は1976年(昭和51年)に四国(東予)七福神霊場の開創に伴い新設されたもので、拝殿・奥殿の弁財天共に秘仏で拝観はできない。拝殿弁財天の左脇侍は歳徳神、右脇侍は不動明王である。住職が在席であれば、納経朱印を頂くことが可能である。
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