桑春栄とは? わかりやすく解説

桑春栄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/11 14:00 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

桑 春栄(そう しゅんえい、Sang Chunrong1802年 - 1882年)は、末の官僚。字は柏儕浙江省山陰県出身。

1832年進士となり、翰林院庶吉士となった。国史館協修、纂修、総纂などを歴任した。その後地方に転出して、河南道、四川道監察御史雲南臨安知府を歴任し、さらに貴州按察使、雲南布政使、雲南巡撫と昇進していった。雲南布政使・雲南巡撫在任中は回民のおこしたパンゼーの乱の対処にあたった。やがて北京に戻り、兵部右侍郎、都察院左都御史となり、最終的に刑部尚書に至った。刑部尚書の在任中に「清末四大疑案」の1つである楊乃武と小白菜事件の最終審理にあたり、2名に無罪を言い渡して結審させた。死後、太子少保の待遇と文恪の諡号が贈られた。

先代:
シュヒンガ(舒興阿)
雲南巡撫
1857-1858
次代:
張亮基
先代:
李鴻藻
都察院漢左都御史
1872
次代:
胡家玉
先代:
龐鍾璐
刑部漢尚書
1872-1879
次代:
翁同龢




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「桑春栄」の関連用語

桑春栄のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



桑春栄のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの桑春栄 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS