桂枝助とは? わかりやすく解説

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桂枝助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/04 07:24 UTC 版)

かつら 枝助えだすけ
本名 小林こばやし 光久みつひさ
生年月日 1943年3月22日
没年月日 (2004-01-02) 2004年1月2日(60歳没)
出身地 日本東京都墨田区
師匠 二代目桂枝太郎
弟子 桂枝松
名跡 1. 桂小枝
(1958年 - 1963年)
2. 桂枝松
(1963年 - 1974年)
3. 桂枝助
(1974年 - 2004年)
出囃子 串本節
活動期間 1958年 - 2004年
所属 日本芸術協会
落語芸術協会
備考
落語芸術協会監事

桂 枝助(かつら えだすけ、1943年昭和18年)3月22日 - 2004年平成16年)1月2日)は、東京都墨田区出身の落語家。本名∶小林 光久。生前は落語芸術協会所属。出囃子は『串本節』。

来歴

1958年3月、二代目桂枝太郎に入門し、前座名「桂小枝」を名乗る。

1963年3月、二ツ目昇進し「桂枝松」に改名。

1974年4月、三遊亭圓輔三遊亭若馬と共に真打昇進し「枝助」と改名。

2000年6月、落語芸術協会監事に就任。2004年1月2日に膵臓がんのため死去。60歳没[1]

芸歴

役職

  • 2000年6月 - 落語芸術協会監事に就任

人物

血液型はO型。二ツ目時代、桂小文治(2代目)の家の掃除を命じられ、小文治が大切に育てていた庭の石灯籠コケを落としてピカピカに磨き上げ、大激怒されたというしくじり話がある[2]

芸風

古典落語新作落語を両方こなした。長井好弘は「軽くて明るくて見てて気持ちがいい、こっちが負担にならない、まさに寄席向きの芸人さんでした」と語っている[2]

弟子

廃業

  • 桂枝六

出典

  1. ^ 落語家桂枝助氏がすい臓がんで死去”. 日刊スポーツ (2004年1月5日). 2004年1月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月31日閲覧。
  2. ^ a b 井上和明 編『東京かわら版 平成16年2月号 いろはにほへと』東京かわら版、2004年1月28日、41頁。 

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