栗田富太郎とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 栗田富太郎の意味・解説 

栗田富太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/13 10:21 UTC 版)

栗田 富太郎(くりた とみたろう、1872年12月11日明治5年11月11日〉 - 1932年昭和7年〉11月9日)は、大日本帝国海軍軍人。最終階級は海軍少将

生涯

生い立ち

青森県西津軽郡森田村(現・つがる市)に生まれた。海軍機関学校を卒業した後に海軍少機関士となった[1]

戦争

1900年(明治33年)、北清事変に従軍し、その後、敷島分隊長となった[1]1904年(明治37年)、日露戦争では旅順港閉塞作戦に参加した。第一次閉塞作戦は失敗し、第二次閉塞作戦では敵弾を受けて重症となった[2][3]1914年大正3年)の第一次世界大戦では第四戦隊機関長などを務めた。

戦後

海軍大学校教官を経て、1919年(大正8年)に第一艦隊機関長、1920年(大正9年)に少将舞鶴鎮守府機関長に就任した。1922年(大正11年)、軍令部出仕となった[1]1923年(大正12年)に予備役に編入された[4]

1932年(昭和7年)11月9日に死去した。享年61[1]

栄典

脚注

  1. ^ a b c d 20世紀日本人名事典『栗田富太郎』 - コトバンク
  2. ^ 旅順口閉塞隊写真帖(第一回)~第一回旅順口閉塞作戦 参加将兵~”. 2025年2月12日閲覧。
  3. ^ 旅順口閉塞隊写真帖(第二回)~第二回旅順口閉塞作戦 参加将兵~”. 2025年2月12日閲覧。
  4. ^ 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 海軍編』芙蓉書房、1981年、p.261。
  5. ^ 『官報』第4436号、1898年4月18日。
  6. ^ 『官報』第4902号、1899年11月1日。
  7. ^ 『官報』第5539号、1901年12月18日。
  8. ^ 『官報』第6665号、1905年9月15日。
  9. ^ 『官報』第7949号、1909年12月21日。
  10. ^ 『官報』第402号、1913年11月29日。
  11. ^ 『官報』第748号、1915年2月1日。
  12. ^ 『官報』第2270号、1920年3月1日。
  13. ^ 『官報』第2996号、1922年7月27日。
  14. ^ 『官報』第3223号、1923年5月1日。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  栗田富太郎のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「栗田富太郎」の関連用語

栗田富太郎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



栗田富太郎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの栗田富太郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS