栖岸院とは? わかりやすく解説

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栖岸院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/19 16:17 UTC 版)

栖岸院
所在地 東京都杉並区永福1-6-12
位置 北緯35度40分7.19760秒 東経139度38分33.07920秒 / 北緯35.6686660000度 東経139.6425220000度 / 35.6686660000; 139.6425220000座標: 北緯35度40分7.19760秒 東経139度38分33.07920秒 / 北緯35.6686660000度 東経139.6425220000度 / 35.6686660000; 139.6425220000
山号 松苔山
院号 栖岸院
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
創建年 不詳
中興年 大正9年(1920年
中興 信誉明道
法人番号 7011305000339
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栖岸院(せいがんいん)は、東京都杉並区にある浄土宗寺院

概要

創建年代は不明である。元々は三河国村高庄(現・愛知県安城市)にあった「長福寺」という寺で、当初は真宗高田派の寺院であった。その後、徳川家康の居城に連動するような形で駿府に移り、1591年天正19年)に江戸麹町に移転した[1]

1621年元和7年)安藤重信が当院に葬られて以降安藤家菩提寺となり、1639年寛永16年)に浄土宗に転宗した。「栖岸院」は重信の戒名に由来する。他にも丹南藩主家の高木家や旗本諸家の香華寺となっていた[2]

江戸時代、当寺の住職将軍に単独拝謁できる格式が認められていた[2]

明治時代以降の武家の没落に伴い、一時は千住勝専寺に吸収されてしまった。その状況を憂えた信誉明道は一念発起し、1920年大正9年)、現在地に再興した[1]

境内

  • 観音堂
    「火伏観音」という観音菩薩像を安置。鎌倉時代後期の作で、杉並区の文化財に指定されている[2]

墓所

  • 安藤家(譜代大名)
  • 高木家(譜代大名、丹南藩)

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b 大谷光男、嗣永芳照 著『杉並区史跡散歩 (東京史跡ガイド15)』学生社、1992年、67-68p
  2. ^ a b c 144 栖岸院【寺院】(永福1丁目6番12号)杉並区教育委員会事務局生涯学習推進課文化財係

参考文献

  • 大谷光男、嗣永芳照 著『杉並区史跡散歩(東京史跡ガイド15)』学生社、1992年



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