栄養学の社会的地位の向上
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 22:16 UTC 版)
1950年代、家政学部の一授業内容であるという扱いであった栄養学に対し、香川は栄養学部の必要性を強く説いた。女子栄養大学が栄養学を専門とする初の4年制大学としてスタートした1961年にはその主張は認められなかったが、1965年に東大医学部長から徳島大学学長に就任した児玉桂三らと共に再度栄養学部の創設を文部省に働きかけ、認められた。 同時期に、それまであった栄養士の資格の上級資格に相当する「管理栄養士」の創設にも関与し、栄養学の専門家の地位の確立を図った。なお、香川は管理栄養士を栄養学部卒業者の資格にしたかったらしいが、その通りにはならなかった。
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