栃木山の体重
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 00:13 UTC 版)
19歳で既に19貫(71kg)、20歳で20貫(75kg)、21歳では21貫(79kg)と年齢と貫目が同じ数字で増えていき、27歳で27貫(101kg)になった。巡業から帰って、稽古過多で27貫になると稽古量を減らし、場所初日には必ず「27貫500(103kg)」丁度に調整する。場所後に一息付いたことで28貫(105kg)になると、「身体に汗が貯まった」と言っては猛稽古で汗を絞り出し、体重が27貫を下回れば稽古量を減らして増量させるなど、本場所中は必ず自己ベストである「27貫500」を維持していた。栃錦は「身体が小さくても本当に強かった横綱は(自分の目で見て来た中では)3人。師匠である栃木山、若乃花、千代の富士だけだ」と、相撲協会理事長を務めていた当時に語っている。 体重103kg(27貫500)は歴代横綱でも最軽量で、上記の逸話などから小兵力士のイメージが強いが、当時は体重が100kg未満の力士が大半であったため、中量級といえる体躯だった。栃木山の5連覇中に対戦のあった19人の関取の中で、約半分の9人が90kg台の力士だった。本人は小島貞二との対談で「現役当時は30貫あれば巨漢力士だったから自分が小さいと感じたことはなかった」と発言したことがある。しかし、その栃木山も100kgを超える体重であり、歴代横綱の中で体重が100kg未満の者は存在しない。
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