柳花夫人とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 柳花夫人の意味・解説 

柳花夫人

(柳花 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/12 03:59 UTC 版)

柳花夫人
各種表記
ハングル 유화부인
漢字 柳花夫人
発音 ユファブイン
日本語読み: りゅうかふじん
RR式 Yuhwa Buin
MR式 Yuhwa Buin
英語表記: Lady Yuhwa
テンプレートを表示

柳花夫人(りゅうかふじん/ユファブイン)は、河伯の娘[1][2][3][4]高句麗の建国者朱蒙の母。夫は解慕漱 または 金蛙王だか、柳花が日光に感応して朱蒙を生んだことから、朱蒙は自分を天孫、太陽の子孫と呼んだ。

好太王碑』には「(朱蒙は)天帝の子、母は河伯の女郎」とある[5]。『魏書』高句麗伝、『三国史記』高句麗本紀によると、河伯の女・柳花が室内に閉じ込められ、日光に感応、朱蒙を生んだ[5]

日本書紀天智天皇7年(668年)冬10月条によると、仲牟王(朱蒙)は高麗(高句麗)を建てた時、国の千年の存続を願ったが、母夫人(柳花)は「善く国を治めても700年でしょう」と言った。

続日本紀延暦9年1月15日(790年2月3日)、皇太后(高野新笠)の葬式の箇所に「(遠祖の都慕王は)河伯の娘が日光に感応して生んだ」とあり、高野新笠の諡号「天高知日乃子姫尊」はこの伝説に因んで贈られた[6]

明年正月十四日辛亥。中納言正三位藤原朝臣小黒麻呂率誄人奉誄。上諡曰天高知日之子姫尊。壬午。葬於大枝山陵。皇太后姓和氏。諱新笠。贈正一位乙継之女也。母贈正一位大枝朝臣眞妹。后先出自百濟武寧王之子純陀太子。皇后容徳淑茂。夙著聲譽。天宗高紹天皇龍潜之日。娉而納焉。生今上。早良親王。能登内親王。寳龜年中。改姓爲高野朝臣。今上即位。尊爲皇太夫人。九年追上尊號。曰皇太后。其百濟遠祖都慕王者。河伯之女感日精而所生。皇太后即其後也。因以奉諡焉。 — 『続日本紀』巻第四十

家族

脚注




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「柳花夫人」の関連用語

柳花夫人のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



柳花夫人のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの柳花夫人 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS