林若樹
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 22:37 UTC 版)
林 若樹(はやし わかき、1875年(明治8年)1月16日 - 1938年(昭和13年)7月12日)は、明治時代から昭和時代初期にかけての収集家。本名は若吉。父は林研海、伯父に松本良順[1]がいる。
生涯
東京府東京市麹町区に生まれるが、早くに両親を失い、叔父の林董[2]に養われた。祖父の林洞海から最初の教育を受け、病弱であったため旧制第一高等学校を中退するが、その頃から遠戚にあたる東京帝国大学教授・坪井正五郎の研究所に出入りして考古学を修めた。遺産があったため定職に就かず、山本東次郎を師として大蔵流の狂言を稽古し、狂歌・俳諧・書画をたしなみ、かたわら古書に限らず雑多な考古物を蒐集した。明治29年(1896年)には同好の有志と「集古会」を結成し、幹事となり雑誌『集古』の編纂を担当した。次いで、人形や玩具の知識を交換し合うために、明治42年(1909年)には「大供会」をも結成し、「集古会」「大供会」「其角研究」など、定期的ではあるが自由な集まりを通じて、大槻如電・大槻文彦・西澤仙湖・根岸武香・山中共古・淡島寒月・坪井正五郎・久留島武彦・清水晴風・竹内久一・三田村鳶魚・内田魯庵・岡田紫男(村雄)・寒川鼠骨・三村竹清・森銑三・柴田宵曲といった人々と交流を重ね、自らの収集品を展覧に任せた。64歳で逝去し、谷中霊園にある父の墓の隣に葬られた。戒名は「天嶽院白雲若樹居士」。
その死後、雑誌『集古』『彗星』『日本及日本人』『浮世絵』『新小説』『同方会報告』『ホトトギス』などに発表された論文を集めた『集古随筆』(1942年、大東出版社)が刊行された。さらに森銑三が編纂した選集として『林若樹集』(1983年、青裳堂書店)がある。
脚注
参考文献
- 林若樹のページへのリンク