松浦脩とは? わかりやすく解説

松浦脩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/31 19:37 UTC 版)

 
松浦 脩
松浦脩
時代 江戸時代後期 - 明治時代
生誕 天保3年1月15日1832年2月16日
死没 明治39年(1906年)4月
改名 幼名:勇三郎→脩
官位 従五位下豊後守、従五位上・左近衛将監
幕府 江戸幕府
主君 徳川家慶家定家茂慶喜
平戸新田藩
氏族 松浦氏
父母 父:松浦晧、母:柳沢保光の娘
兄弟 柳沢泰孝正室、松浦詮正室ら
正室:行子(細川興建の娘
峯子(細川興嗣(細川興貫長男)正室)、、弘
養女:細井ハル子(桑原七兵衛妻)
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松浦 脩(まつら ながし)は、江戸時代後期から幕末にかけての大名肥前国平戸新田藩の第9代(最後の)藩主。第8代藩主・松浦晧の長男。

略歴

嘉永3年(1850年)8月21日、父晧の隠居により家督を継ぐ。同年12月16日、従五位下・豊後守に叙任する。文久3年(1863年)3月15日、幕府から本藩と共に対馬藩の支援を命じられる。同年8月、上洛し、孝明天皇に拝謁する。元治元年(1864年)7月、従五位上に昇進する。明治元年(1868年)10月、病気のために息子豊を上洛させることを新政府から許可される。明治3年(1870年)9月に本家の平戸藩と合併したため、平戸新田藩は廃藩となった。

明治14年(1881年)、隠居し、長男豊に家督を譲った。明治39年(1906年)4月、75歳で死去した。

系譜

  • 父:松浦晧(1804-1856)
  • 母:柳沢保光の娘(1805-1875)
  • 正室:行子(1835-1865)- 行。細川興建の娘
    • 長女:峯子(1857-1918)- 峰子。細川興嗣(細川興貫長男)の正室、明治36年11月離縁
    • 長男:松浦豊(1858-?)
  • 生母不明の子女
    • 二男:松浦弘(1870-1889)
  • 養子
    • 女子:細井ハル子(1854-?)- 桑原七兵衛の妻




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